こういう聖書箇所を読むと思い起こすのは、高校生の頃のことです。当時KKS(教会高校生青年会)をしていました。一つ年上の女性の方が、仰ったのは、十二弟子(使徒)に女性がいたら良かったのに、ということでした。彼女が今どうしているのか全く知りませんが、高校を卒業した後は、教会へは来なくなっていました。


 二千年前の状況では、十二人の中に女性がいないのも仕方がないかもしれません。そして、男の十二人の弟子たちが、主イエスの逮捕の時には全員逃げ出しました。しかし女たちは十字架のときにも遠くからみていました。更に、主イエスが十字架に死んだ後も、離れがたくお墓に行って、復活の最初の証人になったのも女性たちでした。初代教会の頃も女性たちが活躍していたことはよく知られています。


 この八章最初の3節に、特別なことが描かれているわけではありません。1~3節です。いつものように、女性たちが、自分の持ち物を出し合って奉仕する様子が描かれているだけです。しかしこの奉仕こそが、教会にはとても大切なことではないでしょうか。主イエスの時代はもとより、現代に至るまで、このような目立たない奉仕こそが、教会を支えてて来たのだといえるでしょう。教会の暦の上で、今日から新しい一年がはじまりましたが、新しい一年も、目立たないけれども、教会を支えて下さる多くの奉仕について、神と奉仕者一人ひとりに感謝しつつ歩みましょう。