今日の聖書箇所は、前半の木と実の話、後半の平地の説教全体のまとめでもある土台の話の二つの部分からなっています。
まず前半をみましょう。43~45節です。私はどんな木にどんな実がなるのかさっぱり分かりません。しかし分かる人がみれば、この木にはこんな実がなると分かります。そして木と実はそれぞれきちんと対応しています。ルカは、それを人間の善い人、悪い人にもあてはめていきます。それぞれに心にあふれるものを語ります。表面的に、善いこと、悪いことが問題なのではなくて、心の倉に何を入れているかが問題です。私達の配慮は下手をすると、何をどう語ろうかという所に集中してしまいます。しかしそうではなくて、まず心の倉を何で満たすかが大切です。
更に平地の説教のまとめとして、(マタイが山上の説教の最後に語りましたように)ルカも土台の話をします。46~49節です。主イエスの言葉を聞いて、そして行うことの大切さが語られています。聞いても行わないのは、土台をきちんと作っていないことです。だから、きちんと行うことで、土台をしっかりと形作ることが大切です。
ではこの土台をきちんとすえるとは何のことでしょうか。信仰義認ではなくて、行為義認になってしまうのでしょうか。決してそうではありません。心の倉に善いものを入れて、それがあふれるようにして善いものがでてきます。心の中でだけ信じるとか、表面的に信じているふりをするのではありません。心の奥底から信じるゆえに、それが行動となって溢れ出てきます。それこそが、口先だけで「主よ、主よ」というのではなくて、行う信仰です。