今日の聖書箇所で、主イエスがまず語っておられるのは、すべてを捨てて自分の十字架を負って生きることです。それだけが、主イエスの弟子として歩む道です。25~27節です。憎むというのは、厳しい言葉ですが、当時の表現として、愛さない、第一にはしないということです。
しかし次の二つの例は、一見、それとは関係ない話のようです。28~32節です。主イエスの教えには、このように、この世の知恵に近いものもあります。例えば、「逃げなさい」というのはその一つでしょう。ユダヤ独立戦争の時に、多くのユダヤ人がマサダの砦にこもって、最終的には集団自決したのに対して、キリスト者は逃げることで生き延びました。ただやみくもに突き進むのではなくて、きちんと計算することが求められています。建物を建てるときにも(まさに今私達は会堂建築に取り組んでいますが)、戦争をするときにも、まずきちんと計算することが大切だというのです。
しかしそのような「計算」の一番最初のところで、主への信頼、全てを司られる主を信頼することがなければ、全ては無駄です。33~35節です。塩は、自己主張ばかりしていては、調味料として問題です。食材の中に隠れるようにして、しかしとても大切な役割を果たします。主イエスご自身がそのように生きました。また私達も、主イエスの弟子としてこの世界でそのように生きることを志します。そのときに一番大切なことは、あらゆるものを捨てて主イエスの弟子として生きることです。そこでこそ一番正しく計算できているのです。