今日の聖書箇所に出てくるのは、主イエスの他に、ヤイロと主イエスの服に触れた女の二人です。そして服に触れた女の癒しと、ヤイロの娘のいきかえりという二つの奇跡があります。この二人の奇跡をつないでいるのは、「十二年間」です。十二年が長いのか短いのか、よく分かりません。時間の長さというのは、主観的な面と相対的な面とがありますから、一概にはいえません。ただ、生まれたばかりの赤子が一人前になる年数、また一つの病に苦しみ続ける年数としては十分に長いのではないでしょうか。
まずヤイロの娘をみますと、当時は現代よりも結婚年齢がかなり若かったようです。ですから、十二歳といえば、もうまもなく結婚するような年齢です。ですから、ヤイロにしてみれば、娘をほぼ一人前に育てて、これからというときに死んでしまいます。子どもが幾つであっても子どもの死というのは親にとってつらいものであろうかと思います。ましてや、というところです。
出血が止まらない女は、治療のために全財産を使い果たしています。しかし治りません。現代において私達が思うよりも、血が穢れとして捉えられていた時代のことですから、なおさら辛かったでしょう。
この二人に共通しているのは、絶望ではないでしょうか。大きな絶望に包まれている中で、しかしかすかな希望として、神の子、主イエスとの出会いがあります。今日の聖書箇所でよく注目されるのは、48節の主イエスの言葉です。確かにここで信仰について語ることも意義があるでしょう。
しかしそれ以上に、絶望の極みにあって、主イエスと出会った幸い、十二年間の苦しみや労苦が報われる喜びに注目しましょう。私達には永遠の命が約束されています。