今日の聖書箇所は、最も説教しづらい聖書箇所の一つです。残念ながら、今世界には様々な戦争や紛争があります。枚挙に暇はありません。そして主イエスは「敵を愛しなさい」と仰る方です。私達が平和の福音を携えていくことを求めておられます。
しかし今日の聖書箇所では、49節です。さらに、51節です。平和をもたらすためではなくて、分裂をもたらすために主イエスはこの地上に来られました。これはどういうことでしょうか。世界には様々な分裂があり、争いがあります。そのような争いに溢れるこの世界で、更に分裂・争いをもう一つ増やされるのでしょうか。
「火が既に燃えていたら」と願うということは、主イエスが来られたときに、火はまだ燃えていなかったということです。「火」には幾つもの意味の可能性があります。一つには、聖霊(神の霊・キリストの霊)です。その火があることで、争い・戦争があって、人の命の灯火を消してしまうようなものではありません。むしろ人が神に従って生き生きと生きることができるような火です。
その火を投ずるために来られた主イエスは、何をしなければならないでしょうか。50節です。主イエスが火を投じて、その結果人々が殺し合いをするのではありません。主イエス自身が苦しみます。十字架のことです。主イエスが十字架を苦しんで、信仰の火を灯してくださいます。だから私達は、もしかすると身近な人との間で争いが起こるとしても、本当の意味で平和の福音を携えいくために、主イエスに従い生きます。