主イエスの十字架と復活の後、弟子たちはガリラヤに戻り、漁師としての生活をしていたようです。彼らはもともと漁師でしたので、元の姿に戻っていたことになります。
その日、ペトロは漁に出て夜通し網を降ろしましたが、不漁でした。そこに復活の主は岸辺に立たれておられます。当初、ペトロはそれが復活の主であるとは気づけません。それが知らされた時、裸同然の彼は恥ずかしさから湖に飛び込みます。
復活の主は命じられます。もう一度、網を降ろしてごらん、と。一晩中働いても何の益もなかったにもかかわらず、主は「もう一度」とおっしゃいます。私たちはすぐにあきらめてしまいます。もう無理だ!と。しかし、主はもう一度とおっしゃいます。主の言葉に従ったとき、大量だったとみ言葉は伝えます。
このみ言葉とそっくりな話がルカによる福音書5章に出てきます。ペトロの召命の記事として読まれます。ペトロの召命についてマタイやマルコは簡素に伝えていますが。ルカは物語として語っています。そして、ヨハネは復活後の出来事として語ります。この物語は復活顕現物語である以上に、ペトロの召命の記事です。ペトロは復活の主によって再び、「人を漁どる漁師」として召されゆくのです。
ゲッセマネの園で逃げ、カイアファの家の庭で三度主を知らないと言い、復活もにわかに信じなかったペトロは今、再び主に召され、宣教のために遣わされゆく者とされたのです。