今日の聖書箇所は、次回の山上の変貌と合わせて、福音書の頂点・分水嶺と言われる箇所です。なぜなら、ここからはっきりと主イエスの道は十字架という一番低い所へ向かって進んでいくからです。ルカではまず、主イエスが一人祈っておられ、そこに弟子たちがいます。弟子たちにまず主イエスが尋ねることは、弟子たちが無責任に答えられる問いです。18・19節です。次に主イエスは弟子たち自身の気持ちを聞き、はじめての信仰告白です。20節です。ここでメシアと訳されているのは、元のギリシャ語では「キリスト」です。油注がれた者、更に救い主です。


 この告白に対して、主イエスは沈黙を命じられます。そして更に受難予告をします。21・22節です。なぜ沈黙を命じられるかといえば、まだその時は来ていないからです。そして受難予告は、弟子たちの告白に対応して、語るべき時がきたということでしょう。今まで弟子たちは全てを捨てて主イエスに従ってきました。しかし主イエスがキリストであると告白してはじめて、これからくる十字架と復活について語ります。これは、一度だけではなくて、繰り返し(福音書に描かれるのは三回だけですが)語られます。だたし弟子たちは、意味が分からないで困惑します。復活の後でやっと、理解します。


 最後はそのような弟子たちが、心得ておくべきことが語られます。23~27節です。その中心にあるのは、自分自身の十字架を負いなさいということです。これは、ふだんよく聞いている、弱く罪深い私達が、できないなりに、主イエスに全てを委ねて生きることと全く矛盾しません。それどころか、この二つのことは表裏一体、二つにして一つです。私達は信仰を告白して、全てを主に委ねて、それゆえにこそ自分の十字架を負って生きましょう。