今日の聖書箇所は、主の晩餐の時のことです。 それは、主イエスが裏切り者の予告をなさって(21・22節)、それに対して使徒たち(弟子たち)が「いったいだれが」と議論した後のことです。
彼らは今までも「誰が一番えらいのかという議論をしてきました。しかし今日の聖書箇所は、最後の晩餐の箇所です。この後すぐに主イエスが逮捕されるとまでは分からなくても、それなりに緊張感はあったことでしょう。もうすぐ何か大変なことが起こるということは弟子たちも分かっていたでしょう。だからこそ、誰が一番偉いのかという議論をしたのか、それともいつも通りに議論したのかは、分かりません。しかし本当はそんな議論をしている場合ではないことは、明らかです。だから主イエスは彼らの議論に答えます。25~30節です。一つのポイントは、仕える者になりなさい、です。あなたがたは、誰が一番偉い(大きい)かを議論するが、あなたがたの間では、偉い人、上に立つ人が仕える者となりなさい。
これは一般的な美徳としての謙遜が勧められているのではありません。主イエスが給仕する者であられました(27節)。この主イエスにならって私達は仕えるものです。そして主イエスは十字架の死に至るまで従順に仕えました。見せ掛けだけの喧騒ではありません。そして、「一緒に踏みとどまってくれた(28節)使徒達には、支配権が委ねられます。不思議なことに、仕えることと支配権には何の矛盾もありません。主イエスがそうであられるように。
そして主イエスは、ペトロに語りかけます。31・32節です。これが主イエスのペトロに対する大きな励ましであることは私達には分かります。しかし一番弟子のペトロは、自分を完全に否定されたような気持ちになったのでしょう。とても勇ましいことをいいます、33節です。それは直ちに主イエスによって否定されます。34節です。主イエスは全てを分かっておられます。そしてペトロが否認した後のことを励まします。