今回の場所は、湖です。まず、1~3節です。この箇所では、三つの点に注目します。まず第一に、群衆が主イエスの周りに押し寄せてきた理由です。「神の言葉を聞こうとして」とルカは描きました。前回の癒しだけが目的ではありません。また主イエスの語る言葉を人々が神の言葉と捉えていたことも分かります。
しかし人々が主イエスの傍に集まりすぎては、語ることもままならないでしょう。だから主イエスは、船に乗って船の上から語ります。これが二つ目の点です。船の上ですから、聞く人々と適度な距離を保つことができます。
更に三番目に、このとき、漁師たちは網を洗っていました。夜通し漁をしても何もとれません(5節)。恐らくはがっかりして、しかしこの次の漁のためには、網を洗っておかなければなりません。主イエスが群衆に語る時に何となく聞いていました。
話し終わった主イエスの言葉に従って、シモン達は今一度漁をします。4~7節です。「お言葉ですから」とペトロは漁をします。プロの漁師たちが一晩中漁をしてもだめだったのだから無駄だと思いつつ、主イエスの言葉に従います。彼らの思いではありません。そして不思議な大漁です。
大漁自体は、上ノ湖イエスには自然なことだ。しかし次のペトロの反応が、私には不思議でした。最後の8~11節です。なぜ、突然ひれ伏して、罪告白なのでしょう。この箇所の主イエス(とその業)を光だと表現する人もいます。あまりに明るい光に照らされたとき、私達は私達自身の闇に気が付きます。「わたしから離れてください」というよりほかない思いです。恐れに包まれます。だから主イエスは語ります。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」。私達もこの招きを自覚しましょう。