クリスマス、おめでとうございます。
今日はクリスマスなので、以前にも講解説教で読んだことのある(10回目でした)主イエス誕生の記事です。洗礼者ヨハネの誕生の時と同じで、出産の記事自体はとても簡潔です。むしろルカが描こうとしたのは、主イエスの誕生はきちんと歴史の中に位置づけられるということです。
まず、1・2節です。実はこの出来事が、キリスト教の世界でも歴史的な研究がはじまったときに、一つの課題になりました。それというのも、主イエスの誕生の頃に実際に住民登録があったのかどうかが疑問になったからです。現在は、実際にあったらしいとういうことですが、それでも紀元前7年、あるいは4年の位のことではないかと言われます。西暦はもともとキリスト歴で、キリストの誕生によって世界の歴史は前と後の二つに分かれるという発想でした。しかしどうもキリストの誕生はもう少し早いことだといいます。これは、キリスト者でない方々も大勢おられるこの世界でむしろ良かったのではないかとも思います。
いずれにせよ、住民登録と関係づけ、当時名君として知られていたアウグストゥス(彼は他の皇帝と同様に神を自称し、また救世主とも言われていました)と関連づけることで、ルカが語ろうとしたのは、歴史的には全く無名のイエスこそ、私達皆の救い主だということです。
次は、3~5節です。こうして、主イエスは、旧約聖書の預言通りに、ユダヤのベツレヘムでお生まれになります。ところが実際の出産の時には、場所がなくて、飼い葉桶に寝かされたと描かれます。6・7節です。飼い葉桶とは恐らく、馬ではなくて牛か何かだと考えられています。私達は、すっかり慣れてしまって、飼い葉桶に寝かされている赤子というイメージをもっていますが、やはりこれは異常なことです。せっかく神の子・救い主がお生まれになったのに、私達人間の世界には居場所がなかったと、ルカは語ります。このことこそ、主イエスの生涯を象徴しています。この世界に本来居場所のなかった神の子の誕生を、私達は主イエスと出会ったゆえに、喜び祝うことができます。