イースター、おめでとうございます。

 私達は先日ルカによる福音書の講解説教に入りましたので、今日はこのルカから復活の記事を読みましょう。しかし(講解説教でまだ主イエスが生まれていないように)今日の記事に復活の主イエスは現れません。ようやく次のエマオの記事で、復活の主イエスは現れます。今日の記事は、厳密にいえば、復活の主イエスと出会う記事ではなくて、空の墓の記事であり、また主イエスの復活の告知の記事です。

 まず女性たちは、安息日に休んだ後で(23章の最期です)、香料をもって墓にきます。主イエスのご遺体にきちんと処置を施すためです。

 しかし遺体がないのです。1~4節です。途方にくれる女達に現れたのは、明らかに天使である二人の人です。女達が恐れて地に顔を伏せるのは自然な事でしょう(神顕現のしるし)。

 そして天使の言葉を聞きます。5~7節です。天使達は復活の告知をすると共に、思い起こすようにと語ります。女達は弟子達と共に、復活なさる事を聞いていました。しかし聞いても理解はしていませんでした。あまりにも現実離れした話は、聞いても理解できません。

 しかし天使達に言われて思い出します。8節です。それでやっと、婦人達は伝える者になります。9~11節です。しかし使徒たちは、たわ言(中身のない空虚な話)のように思われて、信じませんでした。ペトロだけが、墓へ走っていって、空の墓の事実を確認します。

 復活のその時に、事実として確認できるのは、空の墓だけです。しかし弟子達はその後、復活の主イエスに出会い、宣べ伝える者になっていきます。

 私達教会は、見える形で復活の主イエスに出会う事は再臨・終末までないとしても、信仰の先達方の証言によって、信じる者達になることができます。この事実を感謝しつつ歩みましょう。