今日の聖書箇所は、とても単純だけれどもとても難しい聖書箇所です。単純なのはやもめの息子を生き返らせるだけの話です。難しいのは、その意味です。
最初の2節が状況設定です。11・12節です。ユダヤ教は、日本の古い考え方と似た所があって、死を汚れとして捉えます。だから亡くなった方がいると、町の外(門の外)に葬るために、柩を担ぎだします。主イエス(とその一行)は、そういう場面に出くわします。当時の社会では、やもめは孤児や寄留の異邦人と同様に、社会的な弱者でした。当時の社会でこの三者を守りいたわるべきことが定められていることこそ、弱者であることの証拠でしょう。やもめにとって一人息子を失うことは、子どもを亡くすつらさだけではなくて、社会的にも厳しいことでした。
それで主イエスはこの一人息子を生き返らせます。13~15節です。「憐れに思い」は、ご自身の内臓が痛むほどの思いで、ということです。主イエスは、自分は神の子であって死なない存在として、死ぬ定めの人間を憐れんだのではありません。ご自身が十字架に死んで、死なない者へと復活なさることで、私達全ての者に死を越えた希望を与えてくださいました。
この聖書箇所の出来事は、不公平・不条理でしょうか。確かにそうです。そもそもこの世界にはたくさんの不条理が溢れています。しかしそれらの不条理を越えた、神の恵みの現実が、私達を勇気づけます。