前回はとても分かりやすい放蕩息子の話、弟の話でしたが、今回は兄の話です。兄は、父親の言いつけに一度も背いたことがない(29節)品行方正な人物です。しかし弟の帰還によって、いわば化けの皮がはがれてしまいます。
25~28節です。ここで疑問なのは、なぜ弟が帰って来たお祝いの席に兄を招かないのか、ということです。兄は、父から聞くのではなくて、音で気が付いて僕から事情を聞きます。父は兄をなだめようとします。
しかし兄は不平を言います。29~30節です。兄の不満も尤もです。しかし父は言います。31・32節です。皆さんは不平不満をいう兄の立場に共感しますか。それともこの弟を見つけた父親の喜びに共感するでしょうか。
この例えでは、まず、悔い改めた罪人、見失われた羊や銀貨、更に放蕩息子がいます。そしてそれを見出して喜ぶ父・神の姿があります。前回申し上げましたように、この神の喜びに連なる放蕩息子の、見出された者の喜びに連なるかどうかが問われています。
教会生活・信仰生活を真面目に過ごしてきた方は、一歩間違うと、この兄と同じ罪を犯してしまいます。従順であった自分を高く評価して、見出した者の喜び、神の喜びに連なることができなくなってしまうのです。
私達がキリスト者として生きるときに、神の喜びに連なる者として、自分も感謝と喜びをもって生きているかどうかが問われるのです。