今日の聖書箇所は、ベルゼブル論争と呼ばれている箇所です。1~23節です。主イエスが悪霊を追い出すことについて、悪霊の頭ベルゼブルの力で追い出しているのだという批判に対して、決してそんなこはないという反論です。またしるしを求めることに対しては、次回の箇所で答えています。19節から、こういうことをしていたのが主イエスだけではないことも分かります。


 むしろ主イエスは、悪霊が出ていった後に必要なことを語ります。24~26節です。私が洗礼を授けるときに、必ず申し上げることは、洗礼を受けたならば、何があっても主イエス(教会)から今後は慣れないで生きなさい、ということです。しかしキリスト者であることを自分の実存の中心とは考えないで、アクセサリーかなにかだとでも思っているのでしょうか、あれが気に入らないこれが気にくわないと離れていってしまう人々がいます。残念なことです。


 そして悪霊を住み着かせないために大切なこと(主イエスの聖霊に住み続けて頂くために大切なこと)は、神の言葉を聞き、守ることです。27・28節です。前回は弟子たちが主イエスに祈りを教えてほしいと求めて、主の祈りを中心に祈ることを教えました。私達が神の言葉を聞いて守るためにまず何よりも祈ることが大切です。


 そして祈りの中で、神に励まされて私達は神の言葉を聞いて守る生活を形作られていきます。それは英雄的な非日常的なことではなくて、私達自身の日常です。そこで私達は、神の国は既にきている(20節)という自覚を持って、日々を生きるのです。それが具体的にどういう生き方になるかは、正解・お手本があるのではありません。一人ひとりが神に求めつつ生きます。