今日は主に種蒔きの例えであり、多くの方が既によく知っている例えです。この箇所をきちんと読むための一つの手がかりは、11節からの主イエスの説明です。「種は神の言葉である」(11節)とはっきりと語りながら同時に、蒔かれたものとは、人間のことです。それは、神の言葉という種が蒔かれるけれども、それは「人」として育つのだということです。
大切なのは、私達がきちんと神の言葉を聞くことです。どう菊花が大切です。説教をしていますと様々な体験をします。きちんと聞き取って神の言葉を受け止めてくださる方もあれば、私はそんなことは一つも語っていないのになあ、と、感じることも正直あります。日本の学校では、事実・知識をきちんと聞く訓練はそれなりにできているかと思いますが、神の言葉を聞く訓練はあまりできていないように思います。かつて若いころには、どうしたらきちんと聞いて頂けるだろうかと思いました。しかし今はそう思いません。私が説教を語り、神の霊・聖霊が働いてはじめて、聞く方に神の言葉が届く。そこでは必ずしも、私が語った言葉のままに受け止めることが、神の言葉を語って聞くことにはならないのです。聖霊が一人ひとりに神の言葉を届けてくださいます。それが分かりますと、私が語ろうとしたのとは違うことで感動してくださる方がいても、否定するのではなくて、「ああ聖霊はそのように働いてくださったのだ」と感じることができます。
様々な地に落ちた種(様々な実らない種)の話をみると、伝道のむなしさ、力なさを思いますけれども、「百倍の実を結ぶ」(8節)という主イエスの言葉にもっと信頼してもよいのではないでしょうか。