今日の聖書箇所は、二つの部分からなっています。前半(32節まで)は、前回の16節への答えです。29~32節です。ソロモンにまさるもの、ヨナにまさるもの、主イエスがおられるのに、それ以上のしるしを求めることが間違っています。


 この前半の部分と後半の部分とは、よこしま(29節)と澄んでいる(34節)で繋がっています。実はこの二つの言葉は反対語であって、逆の意味の言葉です。目が澄んでいれば、これ以上のしるしなどなくても肝心のことが分かります。主イエスという神からのしるしだけで満足するはずです。しかし、よこしまだから(目が澄んでいないから)、しるしを求めることになります。


 33~36節です。ともし火の話です。誰もともし火を用意して、隠す人はいません。燭台の上に置きます。私達の中でも、せっかつ主イエスがともしてくださる光を輝かせることが大切です。