今日の聖書箇所の中心は、9節の主イエスの言葉です。この「感心し」というのは、とても驚いたという言葉です。主イエスは、百人隊長の信仰に驚いておられます。この百人隊長は、ユダヤの会堂の人々からも尊敬されていたようです。1~5節です。わざわざユダヤ人の長老たちが、主イエスにとりなすほどの人物です。
そして主イエスは、出かけていきます。6節前半です。6節後半~8節です。せっかくきて下さるという主イエスを断ります。ただ一言、いやしの言葉を求めます。この百人隊長の何が、主イエスを感動させたのでしょうか。様々なとらえ方や読み方ができるでしょう。私達もまた、一人ひとり、思い巡らせたらよいと思います。
今日は一つのことだけに集中しましょう。それは、主イエスがその信仰を驚いた相手は、当時の信仰の中心にいると考えられていたユダヤ人(とのその指導者たち)ではなくて、周辺にいると思われていた百人隊長であったということです。百人隊長は、私達の言い方たでいえば、「求道者」です。しかし彼にこそ主イエスは信仰をみたのです。自身の命令を家来たちが聞くのは、自分が権力者の権威のもとにいるからだ。そして主イエスは、真実の権威者である神の権威のもとにおられる。だから、主イエスが一言仰れば、百人隊長の大切な部下の病も癒されると信じました。「信仰はそんなに単純な話ではない」とか、「私達が望んだからといって、いつも主イエスが聞いてくださるわけではない」とか、様々な声があるでしょうが、少なくとも私達は、「主イエスよ、きて下さい」と願い、また主イエスの言葉を求め続ける信仰を生きることはできるのではないでしょうか。